「名前をつけておくれ」2019年12月6日の日記

日記

・動画に出ています。表現力とかよりなにより手元のちっちゃいものをどうこうするのが無理すぎる。


・「HSP」という言葉が、ちょっと前にネットで話題になっていた。Highly sensitive person、つまり、すごく繊細で敏感な人、という意味である。人に比べて音や色彩に敏感だったり感受性が豊かだったりするので刺激に弱く、HSPは生きづらさを感じることも多いそうだ。

・これは病気ではなく、そのような特徴をまとめるために作り出された言葉である。その意味でHSPは「うつ病」や「PTSD」などよりは「泣き虫」とか「おこりんぼ」に近い言葉だ。しかし、その響きにはどこか病気っぽい雰囲気があるし、だからこそ巷に浸透してきているような気もする。病気は、ときに当人にとっての救いとなる。病気には「その特性はその人そのものではない」というニュアンスがあるから、自分自身のアイデンティティを守ることができる。

・たとえば、自分がバカであると認めることと、「バカ病」であると認めること、どちらが気が楽だろうか。もし自分がバカなのがバカ病のせいだったら、本当の自分はバカではないといえる余地が残る。なおかつ「不当にも」バカ病に罹患したという被害者性を確立することもできる。病という概念はこのように、ある人の特徴をある人自身から切り離せるという特性を持っている。HSPもまた、その当事者たちによって「病気らしさ」を志向されているんじゃないかと思う。

・ところで、このような特徴をまとめた言葉が作られると、その言葉がそのまま「原因」として語られることがある。たとえば、泣いている人を指して「あいつは泣き虫だからなぁ」と言ったりする。泣き虫だから泣くのか? いつの間にか順序が逆になっているのだ。よく泣くから泣き虫と言われるのに、泣く理由が泣き虫だと言われるようになる。この説明にはどれほどの意味があるのだろう。「私が生きにくさを感じているのはHSPだから」と言うとき、この「だから」は原因を説明していることになるのだろうか。

・もちろんならないが、全く意味がないわけではない。ただ名付けをするだけで見えてくるものがある。当事者の連帯が生まれ、問題が可視化しやすくなる効果があるのだろうと思う。

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