・動画が出ております。バズ、という言葉自体、今ってあんま流行ってない感じがするのだけど気のせいだろうか。商売柄、気のせいだったらいいなとは思う。
・なんか最近、「一発バズったら大成功」みたいな夢を見る人が減った気がする。なんというか、動画が主戦場になったのも大きいだろうけど「地道な継続が一番」という雰囲気になってきてないか? 健全かよ!

記憶汚染展 (@kiokuosenten) on X
【記憶汚染展】その記憶、”本当”ですか?あなたの記憶を汚染する展覧会、開催いたします。
・記憶汚染展、準備中。予約受付中。制作全体に入っています。いまいろいろと制作中なわけですが、結構なんか、すごいかもです。


コメント
論点は少しずれますが、元来「自分がそこに『生まれた』から」という理由で国粋主義を取っている人も、理由を聞かれたら客観的な理由を答えたくなる気がします。ただ「そうだから」というのは尤もな答えですが、他人を説得するには至らなさそうです。
もう一段階考えると、何かの理由を答える時、相手を説得できるような内容で答えるというのが正しい/賢いという風潮がある気がします。現代の特徴でしょうか、それとも人間が言葉で何かを伝える時に必然的についてくる性質かもしれません。
別の話題ですが、「『たまたま』」日本に生まれた」という表現は「もし自分が他人として産まれたら」という仮定が可能であるという前提に立ったものですね。
その仮定が無意味であるという立場を取ると、日本に産まれたことは「必然」ということになるのでしょうか。
私もその仮定が無意味であると思いますが、感覚はどちらとも違う気がします。「ただ、そう産まれた」という感じでしょうか。路端の石がただそこにあるように。私の立場では、偶然か必然かを述べることができません。
つまらない立場だと思います。しかし、私が自分について考える時、この立場が唯一の大切な原点となっているような気がしています。