・今日から、ウオウオフィッシュライフを始めます。

・仕事の打ち合わせ。紅茶とようかんを貰った。「チョコっとグミ」がうまいという話をする。「三ちゃんクビ」のメモは果たしてどういう意味なのか。それが明らかになる日は近い将来にも遠い未来にもないだろう。ただめちゃイケの三ちゃんがクビになるくだり凄かったという話をしただけだから(そんなのをなぜメモした)。
・あとまた「トンビにカメパンぬすまれた」の話をしてしまった。会う人会う人とその話ばっかしている。その動画の続編が唐突に投稿されたときはなぜか超学生さんから「観ましたか!?」みたいな速報LINEが来た。そんなにトンビにカメパンぬすまれたに興味津々だと思われているのだろうか。
・「あのSNSで話題になってたあの映画観ました?」「あー、あれ。観てないです。観ました?」「観ました」「どうでした?」「普通の面白さでした」「普通かあ」こういう会話をしているとき、妙に嬉しい。空気を震わせるだけ震わせ減衰して消えてどこにもログが残らない話はこうであるべきですね。いま書いてしまったが。
・そういえば昨日雪降りましたね。
・この日記、その場の勢いで書き飛ばしてるからあとになって「あれのこと書いてないじゃん」と思い出すことが多い。雪のことは絶対書こうと思ってたんだけどな。まあ「降ったなあ」以上のコメントは特にないんだけど。でも雪が降るとちょっとうれしくなってしまう東京都民の自分がいる。
・雪がパサパサなってるときに肩を抱えながら「ひゃー、大変だ大変だ。電車止まらないかな」とか思いつつ出勤するとき「あー、自分いますごくちゃんと生きてるなあ」という錯覚が出現するので、それも好きだ。
・なか卯で星野源の『恋』の和風アレンジバージョン(琴)が流れていて「なんなんだ」と思った。生楽器で収録してたらどうしよう。ああいうアレンジバージョンを日々作り続けている職業の人もいるのだろうな。
・一時期、自動生成されて永遠に続く音楽を垂れ流してずっと聴いていた。5年以上前だと思う。微妙に気持ちの悪い旋律がなぜか落ち着く。ボーカロイドは人間の声ではないことで空洞性を担保してくれて落ち着く、と言っている人がいたけれど、作詞も作曲も演奏もボーカルおm完全なる自動生成の場合、本当に全てが空洞、ということになる。人間の存在に圧を感じてしまうときはそういうのを聴きたい。
・そういえば、星新一の『ひとつの装置』というショートショートのことが、子どもの頃かなり好きだったのを思い出した。ある博士が公園に妙な機械を設置する。見た感じなにに使うのかはよくわからない。ボタンがついているので押してみると、ロボットアームがボタンを元に戻してしまう。それだけの機械だ。
・最初は面白がられたがみんなすぐに飽き、風景の一部になる。しかし前を通りかかると、なんとなくボタンを押す。もはや誰もその機械の用途を知らない。
・やがて人類は最終戦争を始め、地球はあたり一面が焦土になり、人類は滅びる。あらゆる建造物は核兵器で破壊されたが、特別頑丈に作られていた公園の装置だけは当時の姿を保っていた。さらに1000年が経過する。装置は、ボタンが1000年間押されていなかったことを確認すると、音楽を流し始めた。それは人類に向けて奏でられる鎮魂歌なのであった。
・この話を読むと妙に胸がドキドキしたのを覚えている。誰にも聴かれないための音楽! 誰にも気づかれないための仕掛け! 今もなお根強く残る私の終末趣味は、星新一の作品のこういう作品群によって確実に培われたと思う。
・いま振り返って気になるのは、博士がその装置にどんな音色が収録されていたのかだ。自動生成された音楽がふさわしいように思うのだが。
・いま日記書きながらシャープペンのレビュー動画流してるけど1本のシャープペンについて30分喋っててすごい。



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