ルール
▼頭に思い浮かんだことをひたすら書く ▼間違えても消さない ▼制限時間は10分間
開始
文字を書き続けている。対話をするのが苦手なのではないかとよく思っているようになった、というのも、不特定多数を相手にして言葉を発するのは割と特異なのではないかと思っていてそれを対話の特異さと勘違いしていた部分があったのだけど実際のところ一対一の会話をつまり、相手を想定した言葉をひねり出すということに非常な苦手意識が在るのではないかと最近すごく思うようになってきて、ではどうすればいいのかというのが目下の課題である。相手が誰でもないからこそ言葉を考えて披露することができるのだがいざある特定の偶然的に選ばれた人格が目の前にあると思うと一体何を言えばいいのかその競技のジャンルから根底から変わってしまっているのではないかrと感じてしまうのだが、みんなはこれをどうやって解消しているのだろうか。ともかく人と話しながら話している自分について俯瞰で観察するということを最近はよくやっているのだがちょっとしたタイミングのズレみたいなものを感じると自分だけずっとズレ続けていたのではないかとそういうありがちな疑念が湧いてきて少々不安になるが実際のところどうなのか。平均的なスキルでいえばそれほどおかしなレベルではないと思うしこれまでネットに露出してきた音声や文字の寮で言えば平均のそれを遥かに超えるだろうから、たとえばアイマスだけでももう20時間くらいはひとりで喋り続けて遊んでいるのだから、あ、でもそれも不特定多数を相手にした喋りなのだよな、対話ではない。いったい対話とはなんなのかよくわかっていない部分が大きすぎる。不特定多数が相手であればその会話のようなものの目的は自らの中の新たな意見の発見であったりそういう部分に見出すことができるのだけれど、相手に固有の魂のことを思うとそういうわけにもいくまい、となり、ボールが返ってくることを前提としたフワッと弧を描くゆるい等級をこころがけるようになってしまい、調子が外れてしまう。そんなニュアンスがあるような気がする。つまりもっと、逆に言えば、独り言のように対話する、ということができればいいのだろうけれど、緊張感がそれをさせてくれず、言葉のエコーを予期した言葉を吐き出そうとするがゆえにブレた言葉になってしまうということだろうか、自分でも何を言っているのかよくわからないが、ともかくそういう感じがしているのだ。私は相手の言葉を遮って喋り続けるということができない(と思っている)のだが、そしてそれを美点だと思っていたのだが、そうでもないような気もしている。というのもまさに相手の言葉を遮って軌道を歪めていくということが対話の本質的な意味だからではないかと思うようになったからで、おそらく理性的な対話などというものは本質的にありえないのではないか、どこかで根本的な溝があってそれが食い違い合うその瞬間に対話のスペクタクルというものがあって、なにも賢者でも哲学者でもないそのへんの兄ちゃん姉ちゃんこそそいういう部分の面白みを味わい尽くしているのではないかなと思うことがかなり多い。だからルールを導入して会話をしようと考えているその四角四面な思考そのものがもう本当に良くないdのだろうとそう思ってるんだけども、だからといってそこからどうにか脱しようと理性的に考える、というのもおかしな話で、だからこういうのはともかく実戦に臨むしかないのだ、というのは最初からわかっているのだけど。変な話だけど。結局渡しは本当に人と話したいと思っているのだろうかという根本的な問題もあって、こうしてひとりで頭の中で思考をこねくっているときが一番楽しいような気がスルし、
終了
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