「みかんをくれる人」2024年12月30日の日記 日記 2024.12.31 ・飯沼一家の「まいっか」の部分。 ・カラスが卵をくわえていた。どこか誇らしげに。ヒビ一つ入っていないピカピカの卵、どこから見つけてきたんだろう。看板の上に置いて眺めて、またくわえたかと思ったら置いて、を繰り返していた。いわゆる「ためつすがめつ」という感じだ。「年末だもんね~」と、全然論理が通ってないことを自然に思った。でも年末っぽくない? ・親と焼肉食べてきた。
コメント
情報を扱う職種では人はより精神的になりやすいと思います。
私は非常に抽象的な(精神的な)人間だと思って生きてきましたが、金属加工の現場に転職して環境が大きく変わりました。
自分の手でレンチを回してボルトの締まり具合を覚えたり、削ったあとの金属の肌理を触って確かめたりと、具体を意識せざるを得ない状況で、それが面白くもあり、慣れない感覚を使って仕事をするのが難しくもあります。
しかしながら、今まで自分が実態を持たないものを扱いながら考えていたことも実は「手つき」とか「滑らかさ」とか、人間がそれに触れる時に起こる感覚のことだったなと気づきました。精神/物体(抽象/具体)の区分と理論/感覚の区分とは違うレベルにあるんだろうと思います。
一読者である私から見て恐山さんは精神・理論の人に見えますが、同時に、たくさん旅行をされたりイベントに参加したり知らない果物を買って食べてみたりされていて、具体的な経験の多様さは非常に高いように思います。
だから恐山さんは具体性が高い人間だと言いたいわけではなく、そういう時間の過ごし方、世界への触れ合い方は、お母様が誰かのファンであり続けておられるように、わたしが職種を移っても似たようなことを考えているように、あまり変化するものではないのかもしれないなと思います。
年を経て変化することがあるとすれば、それは事実を積み重ねる生活の時間と新しいものに触れる経験の時間とに同じだけの価値を置いていく方向への変化なのではないかなと、ぼんやり思ったのでその旨コメントしてみることにしました。
漫然と書いていたら長大な文章になってしまいました。たいていは仕事の休憩時間にウロマガを読んで息抜きさせてもらっています。今回は正月休み中で、時間があったのでコメントさせてもらいました。
いつも楽しみときっかけをいただいています。ありがとうございます。