・喉痛いけど風邪はマシになりました。
・昨日観た『だんぶらさーかす 揺れる魔球』の感想。男性ブランコというコンビと、テニスコートという集団(お笑い芸人ではないけどコントをやる集団)のコラボ公演的なやつですね。それを観た。
・計5人の人々が出てくるのですが、登場人数が多いコントの醍醐味のひとつに「バカが多くなる」というのがあります。コントにおける重要なファクターの一つが「常識的な人間とバカの、パワーバランスの拮抗」です。コントが観客を非現実へ引きずり込む手法として、バカや狂人の論理を優位に置くというものがあります。登場するのが2人なら、常識人とバカによる対等な戦いを描きますが、このバランスを1vs4とかにすることで生まれる面白さというのがある。明らかにおかしいやつらが多数決で圧倒的優位な状況にあると、どんなことでも起こる。この公演ではそれが堪能できて本当によかったですね。
・「言葉を放る」というのをテーマにしたコントがあって、それがとても気に入りました。なんとなくコミュニケーション上で生じる甘えとかあざとさみたいなものを具体的にあぶり出してまな板に乗せてしまうの、コントならではだなぁと思う。映像だとこの緊張感はなかなか出せない。目の前にいるからこそ、会話の匂いが伝わってくるというか。
・その後に観た『明日のアー 最高のアー』
・もう5年目ということで、私にはもはや毎年の恒例行事みたいになっている。ほぼ欠かさず公演を観せてもらっているが、年を重ねるごとに深度が増している気がする。今年の公演に関してはもうなんかすごいところに行ってしまっている。すごいぞ! と驚いた。
・大北さんは自分のコントについて「ロジックで書いている」と言ってるんだけど、個人的にはそれがぜんぜん信じられないくらいアクロバティックな作劇をする人だ。「そのロジックについてこれる人、どれくらい居るんだ!?」という魅せ方をする。ロジックで書いているというよりは、ロジックを書いている。ガリレオ教授がいきなり床にチョークで数式を書いてるのを見てるのに近い。書いてるのはロジックだけど、書かせているのは狂気。
・この違和感というか、アー的コントの異常さはなかなか説明するのが難しい。普通のコントが「何かを積み上げる→壊す」というプロセスを演じて笑いを取るとすれば、アー的コントは最初から壊し続けている。いきなり破壊した概念の欠片をみせて「さて、壊したのはなんだったでしょう」と言われているような……。壊される常識は舞台の上に最初からない。それは観客の頭の中にあって、アーが破壊した残骸を見せてくるたびに、観客は各々の記憶を参照して「壊されたのは何だったのか」を探り当てなければならない。そのデータベースを持っていない人には意味不明な箇所も多い。普通に笑いを取りたかったら絶対そんなことしないんじゃないか、と思う。このへん大北さんが何を考えているのか全くわからない。単純に、普通に笑わせようとして失敗しているのかもしれないが、そうじゃないのではないか、とも思う。このようにして強引に駆動させられる観客の能動的笑い……誘発されるのではない、笑いに行く笑い……は、アー特有のものだし。ガイドラインに沿った作劇だと消え失せてしまうだろう。私は文化祭で上演される演劇が好きだ。あの整っていないヌルっとした時間の流れ方に浸かっていると頭が冴える。明日のアーの芝居を観ていると同じ感覚になる。観終わったあとはどっと疲れている。
・行く人は物販の台本も是非買ってください。台本にコメントがたくさん添えてあって、それを読むと作劇の真意がわかるんだけど、ぜったい初見ではわからない深度のネタがみちみちに詰まっていて笑ってしまうので。
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