・『シャニマス有識者会談~プロデューサー達の夜会~』に出演していました。
・緊張したわね~。今年イチくらい。
・最初は緊張していたけど、途中からただの深夜のデニーズにいるオタクみたいになってしまった。たまに正気に戻って「なんかこの会話してる人、アニメのアイマスのプロデューサーに声似てるな?」みたいに思ったりした。
・元も子もないことを言ってしまえば私なんて「シャニマスというゲームを遊んでいるいちプレイヤー」にすぎないわけで、そいつの言葉にはなんの権威も重みもない。「有識者」といえるほどの知見があるわけでもないし、Pカップだってまともに走ってない。心の中の本間医師が「シャニマスの有識者を名乗ろうなどと、おこがましいとは思わんかね」と言っている。
・それでも出ることを決めたのは「消費方法のガイドライン」みたいなものの需要がすごく高まっているのを感じていたからかもしれない。「消費」と言うとちょっと揶揄的なニュアンスを感じるかもしれないけど、まあ純粋に「楽しむ」ということだ。いろんなメディアについて「それをどうやって楽しめばいいか」がわからず、わからないがゆえに興味が持てない、ということは多い。
・シャニマスは率直に言って面白いポイントがパッとわかりづらい部類のゲームだと思う。美麗な3DCGの歌やダンスはそれだけでインパクトのある面白さを提供する。また、たとえばエヴァのようにわかりづらく難解な作品は「謎」という面白さを提供する。
・一方シャニマスはテキストが中心のゲームだし、そのシナリオは現実をベースにした比較的地味なものだ。人が派手に死んだりとかもないし。もちろん絵や音楽は素晴らしいんだけど、プレイヤーがどのへんを「面白い」と感じているのかをうまく伝えるのがなかなか難しい。
・なので、まず楽しんでいる人を見てもらって「こういう感じで面白いのか」というガイドラインを示すことに意味が出てくるのだと思う。
・ただこれは一歩間違えれば「正しい楽しみ方」みたいなものを一方的に押し付けて、自由に受け止める機会を奪ってしまうことにも繋がりかねない。笑いどころを強調する押し付けがましいテロップや笑い声みたいに。楽しみ方くらい自分で見つけるから放っておいてくれ、という考え方もあると思うし、そういう能動性を最初から持っている人にとっては実際不要なのだろう。
・啓蒙的なことをやろうとすると、どうしても「これがガイドラインだ」と「こんなガイドライン無視しろ!」という矛盾した感情に直面する。どうしたらいいんだ~……と悩み、最終的には見てくれる人のことをまるっと信頼して「こっちはこんな感じだ、そっちはそっちで勝手に判断してくれ!」と開き直った。開き直った結果「武器を持たせたいアイドル」とか「この子には消火器を振り回して欲しい」とか言ってしまった。でも今のところはそれでいいと思っています。シャニマスの本編は、ちゃんと”有識者”なんて無視してくれるという信頼もあるので……。
・もっと言いたいことはいろいろあった。「背景イラストが豊富で、天井(てんじょう)の絵だけで7種類くらいある」みたいな話もしたかったけど、そんな話をしてどうするという気もしたのでやめました。
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